2016/07/28 「天丼てんや」の持帰り天麩羅盛合せ
2016年 07月 28日
「天丼てんや」の一号店は、1989年9月に東京駅の八重洲地下街に開店し、ワタクシは当初からお世話になっていた。東京駅は通勤経路だったし、取引先もあった。なによりもその頃は、八重洲のバーが行きつけだった。
今は超高層ビルに建て替わったが、当時は「国際観光会館」が東京駅八重洲北口を出たところにあって、その中の「国際観光ホテル」のバーとして、二階に名店「エイボン」があったのだ。
バブル期のリーマン時代のワタクシにとって、そこは洋酒の学校だった。文字通り毎日のように通い、いくらお金を落としたか。しかしながら今思う。その経験があってこそ、洋酒のことが多少なりとも分かったのだと。
ハナシが逸れたわ。えっと、てんやの話だ。既述のように、今宵は家人が会食とて留守。ワタクシは帰宅時に、最寄りのてんやで持ち帰りの天麩羅盛り合せを求めた。宅呑み晩酌は独り、それを肴に芋焼酎。
塩と天つゆをちゃんと用意しましたとも。そして楽しみましたとも。独り暮らしの経験は、京都の大学に入ってから東京に就職して暫く、概ね十年足らず。面倒も多かったが、それは楽しかった。
こうして一人で皿やグラスを用意し、焼酎を持ってきて。そんなことをイソイソしていると、独り暮らしを思い出して何だかウキウキ。もちろん、このあと一生それを続けろと言われても、御免蒙るのだが。 (C)2016 taikomochi
今は超高層ビルに建て替わったが、当時は「国際観光会館」が東京駅八重洲北口を出たところにあって、その中の「国際観光ホテル」のバーとして、二階に名店「エイボン」があったのだ。
バブル期のリーマン時代のワタクシにとって、そこは洋酒の学校だった。文字通り毎日のように通い、いくらお金を落としたか。しかしながら今思う。その経験があってこそ、洋酒のことが多少なりとも分かったのだと。
塩と天つゆをちゃんと用意しましたとも。そして楽しみましたとも。独り暮らしの経験は、京都の大学に入ってから東京に就職して暫く、概ね十年足らず。面倒も多かったが、それは楽しかった。
こうして一人で皿やグラスを用意し、焼酎を持ってきて。そんなことをイソイソしていると、独り暮らしを思い出して何だかウキウキ。もちろん、このあと一生それを続けろと言われても、御免蒙るのだが。 (C)2016 taikomochi
by taikomochi-otona
| 2016-07-28 20:40
| 焼酎・泡盛
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